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車中泊 カーネル vol.9


能登半島&各地の自然現象

Part.4 太陽柱(サンピラー)を撮影することができた



<<< 2011年6月10日発売  >>>



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 カーネルSTAFF writer ・ photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
1957年生まれ。広島県在住。地元のパソコン講座の講師を務める。
四輪駆動車専門誌のレポーター・カメラマンで活躍中。
高校時代からひとり旅が好きで、徒歩・自転車・単車・電車・車を使い沖縄県を除く日本を1周。
2001年より趣味のカメラで「朝日と夕日撮影」を目的に三十数回に分けて総走行距離約6万キロを走り、2010年5月の北海道旅で日本2周目を終えた。現在は日本3周目(撮影旅は2周目)に挑戦中!・・・。

能登半島の旅では神秘的な光の柱、
“太陽注(サンピラー)”を撮影することができた。
この不思議な自然現象に心踊らされたことから、
もう一つの自然現象であるい“ダルマ太陽”を合わせて紹介する
<<<P60とP61>>>

能登半島では “キリコ祭り”を見物

 能登半島は旅情誘う素朴で爽快な「内浦」と絶景な「外浦」の2通りの潮風を感じながら走れる。海岸線のドライブとなると、海の青・空の藍・山の緑を体感しながら走ると心は癒される。
 自分としては地形的に半島と言えば大好きで、特に先端の「禄剛崎(ろくごうざき)灯台」を見逃す訳にいかない。
 前夜から近くの駐車場で車中泊。 駐車場ではなにやら始まるようで地元の方が集まっていた。いつもの如く「車中泊するので一晩だけ停めてください」とお願いした。「駐車場の端ならいいよ」とOkをいただいた。
 そのうち、鐘やおはやしなどが聞こえ駐車場には人だかりができ燈籠が2基入ってきた。まぎれもなく「地元のキリコ祭り」だった。
 地元の空気感を身近に受けるとより強く旅情を体感できる。田舎のゆったりした時間の中で、ビールを飲みながら見物と相成った。23時を過ぎた頃には・・・夢の中で鐘の音は消えってしまった。


禄剛崎灯台からの感動の “サンピラー”を撮影

 自然現象を調べてみると、「自然界に見られる諸現象」「人間の意志や働きかけとは無関係に自然の法則によって起こる事柄」と記されている。自然現象を専門的には説明はできないが、旅中に経験した太陽の上に光の柱が見える「太陽柱(たいようちゅう)」に迫ってみる。
 起床タイムは午前3時30分。運がよければカメラマンとして、朝の恩恵を受けられる。夜空に星座が見えて、日の出前に空がほんのり明るく染まる「薄明(はくめい)」に遭遇できる。しかし日の出方向に雲があると星座も薄明も見れない。禄剛崎灯台に立ってみると東方向から雲が流れていた。
 微妙な雲の動きで日の出の時間が近づくに従って、まるで空のキャンバスに赤色の絵の具で描いたように、ひつじ雲(まだら雲)が真っ赤に染まった。海面も空の赤が反射して幻想的。「あ〜」としか言葉が出ない。これは自然の芸術以外になにものでもない。
 刻々と変化する自然現象に驚き「さ〜あ、これで舞台はできたぞ! 役者の太陽はどんな演出で登場するのだ!」ドキドキ、ワクワクしていると、なんと本物の役者が出る前に舞台にスポットが当たった。
 寒い時期にまれに見れるという光の柱“太陽柱(サンピラー)”が赤い空に立ち昇った。季節的にも予測できないのが自然現象だがこの場面に立ち会えたことに感謝。まさしく神秘的な瞬間で不思議な現象に遭遇した。
 自然現象はいくつもの条件が満たされた時に起こる現象で、心を躍らされ強烈な印象が残像とし心に記される。また、カメラを握る手や額や背中に汗をかいていることはシバシバある。旅先で撮影場所に旅人がいる時は、必ず「あ〜」と文字通り皆が絶句している。誰もが美しい景色と認識して何か得体の知れないものと共感するようだ。


各地の“ダルマ太陽”を紹介


なぜ、太陽がダルマの形になるのか

 海岸で見れる「日の出」や「日の入り」の不思議な現象として、面白い形をする“ダルマ太陽”を紹介しよう。
 なぜ太陽が“ダルマ”のような形になるのだろうと説を問いただすと、「蜃気楼説」と「大気による屈折説」とあるらしいで終わりたい。単に見るだけの人、撮影する者としては、形がユニークで、いつも見れないものがタマタマ見れたという気持ちに満足するだけで十分だろう。
 気象条件や立地条件がととのえば見れるが、私自身は朝日のダルマは「千葉県の九十九里浜」「鹿児島の佐田岬」「広島県の田尻」、夕日のだるまは「愛媛県の伯方島」と数回しか撮影できていない。
 太陽の形がまるでダルマの形に見えるのがユニークだ。ダルマ撮影の時には500〜1200ミリのレンズで狙うがファインダーに映る太陽は定位置に定まらない。日の出時に、太陽の上部が海面より出てダルマになり地球から離れまでは4分弱ほどしかない。地球が動いているのがよく解る瞬間でもあり自分が生きていることを実感できる。

まだ見ぬ “グリンフラッシュ”に出合いたい

 旅や旅行で車中泊される方には、旅先での朝日や夕日を見るチャンス多々ある。天候にもよるが見ることができる状況に近い位置に居るのは間違いない。少なくとも宿に泊まっている人たちは建物の中にいて、その地球的規模の現象に出くわすことは確率が低いだろう。
 あなたも、朝日が見れる時間帯に車中泊しているなら少しだけ時計のタイマーを夜明け前にセットしてみてはいかがかな? 感激・感動する朝を迎えることは保証しますよ。旅の思い出として印象に深く残り忘れない朝日となることになります。
 私自身まだ遭遇できない現象は、まだ見ぬ“グリンフラッシュ” だ。
地球の大気がプリズムとなり太陽光が屈折し、朝日や夕日の上端が一瞬に緑色に光る現象。「見た人は真実の愛にめぐり合える」など幸せな伝説がある。
 わずか0.1秒から数秒の一瞬なので気づかないことも多いらしい。水平線や地平線に重なる瞬間に見えるそうだが、一度でいいから見てみたい。
去年の夏より太陽を追いかける旅も2周目に入った。まだまだ見たことのないモノを追いかけて旅は続く。



 <<<60・61ページの写真の説明>>>

千里浜なぎさドライブウェイ
約8kmの海岸線。単車から大型バスまでが走れる砂浜は細かい砂が海水を含んで固くなり舗装道路のようになっている。千里浜なぎさドライブウェイは車で走れることで有名だが、その場に立ってみると浜と海が広く美しい。駐車した位置から海面まで数mしかない。遠浅で砂の目も小さく歩いても気持ちがいい。ほぼ真ん中あたりに陣取っていたが、浜の左右は端が見えないくらい遠い。5時間ほど浜辺で遊んだ。

木の浦海岸
珠州市の能登外浦の先端部分の約11km。高台から広い日本海を見下ろしながら一気に駆け抜ける道はスケール満点。

太陽柱(サンピラー)
大気中に舞う平らな氷晶によって、太陽の上下に光の柱が見える現象。冬から春にかけての寒い日に起こりやすく夜明けや夕暮れがチャンス。気温がマイナス15℃程度の時大きく成長するので、北海道などの寒い地域では低空で大きな太陽柱が見れる。夏に起きる現象としては珍しく能登半島で撮影できたことは嬉しかった。


広島県で見た“朝日ダルマ”
瀬戸内海とあって海に海苔の養殖をしている網が干潮と重なって見えている。養殖杭に鳥が止まっている。


愛媛県で見た“夕日ダルマ”
しまなみ海道にある伯方島より撮影。瀬戸内らしさは何と言っても橋が写っていることだろう。

(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>>
現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。

CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします
 
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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。