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車中泊 カーネル vol.11

四万十川・カルスト台地を巡る

Part.6 四万十川の源流を目指す


<<< 2011年12月10日発売 >>>


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 カーネルSTAFF writer ・ photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
1957年生まれ。広島県在住。地元のパソコン講座の講師を務める。
四輪駆動車専門誌のレポーター・カメラマンで活躍中。
高校時代からひとり旅が好きで、徒歩・自転車・単車・電車・車を使い沖縄県を除く日本を1周。
2001年より趣味のカメラで「朝日と夕日撮影」を目的に三十数回に分けて総走行距離約6万キロを走り、2010年5月の北海道旅で日本2周目を終えた。現在は日本3周目(撮影旅は2周目)に挑戦中!・・・。

日本三大清流は柿田川、長良川、四万十川と呼ばれている。
その中でも日本最後の清流といえば、四国の四万十川。
名声が高い四万十川の源流と河口を紹介しよう。
<<<P54とP55>>>

四万十川源流を目指す

 四万十川は高知県の西部を流れ、全長196kmと四国で最長の一級河川だ。水環境の保全状況が優良だとして環境省から“名水百選”に選定され、さらに、自然環境保全と地域活性化の取り組みが評価された。“平成の名水百選”にも選定された。また、四万十川流域に関わる人々の生活が特有の景観として文部科学省からも“重要文化的景観”として認定されている。四万十川はそれぞれの文化を育み形成している母なる大河という存在だ。
 いままで撮影旅で幾度となく横切り、源流地点から河口までの川沿いをクルマで2度も走っている。しかし、朝日と夕日撮影はなかなか撮影はできなかった。9年越の挑戦で、平成22年夏に四万十川付近で太平洋から昇るデッカイ朝日をゲットできた。長年の夢だった朝日が撮影できたことで、四万十川の発端の源流点がどんなになっているか気になった。クルマで行ける源流近く行っているが、歩いて行ける源流地点はまだ見ていない。旅人としては四万十川を「見た・知てる」とはいい難く、心のモヤモヤを晴らすため歩いて源流を目指すことにした。


源流地点は緑の世界だった

 四万十川の源流点がである「不入山(いらずやま)」は、四国カルスト県立自然公園の東南に位置する標高1336mの高峰。不入山の東斜面に源を発し、主な支流35(支流総数318)を飲み込み、四国西南地域を大きく蛇行しながら落差の少ない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぐ。
 カルスト台地を南下し津野町の国道197号線より県道378号線(東津野仁淀線)を源流地点の看板を見ながら集落通り抜け、四万十源流センター「せいらんの里」を過ぎると折り返した林道を突き進む。林道は数年前に全舗装され、“四万十川源流の碑”がある地点まではクルマで行ける。
 さらに徒歩でしか行けない“源流地点”を目指す。碑の横から沢筋の木や岩の間をぬうように傾斜面を登る。沢に入った瞬間、森の静けさに透き通った水が流れ清流の音が響く。不入山は神秘な霊山として人々に深い尊厳と信仰を集めている山だ。さらに登ると
“幹線流路延長196kmの流れここに発す”と標柱が立つ場所到着する。こここそ四万十川源流点だ。
 源流点というから水は岩の間から湧き出ているのかとおもいきや、小さな滝の如く水量は豊富だった。そこの空間は岩には苔がつき緑色と化し奥深い森で別天地のようだ。さらにその先の流れが二股に別れていて、「エッ、右と左のどっちが源流なの?」と疑問が湧く。仕方なく持って来たペットボトルに右と左と合流した水を3種類に別けて汲んだ。家に帰って3種類の味を確かめようとリュックに入れ持ち帰ることにした。
 四万十川の本流が気になり「せいらんの里」で昼飯を食べた時に施設の方に聞いたら左は渇水時には水の流れは無くなるが右側は枯れることは無いと聞き右側が本流と解った。危なかった・・・右と左の水を汲んでおいて良かったと安堵した。


源流の水でコーヒーを沸かして飲んだ

 沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうよう設計された欄干のない橋で、四万十川には支流も含めて47の沈下橋がある。
 四万十川の沈下橋で一般的に知られるのは中流域にある全長100mを超す長い橋でポスターやテレビに登場する。これらの橋は過去に何度も渡ったことがある。今回は、四万十川でも一番古いとされ源流から4番目にある“一斗俵沈下橋(いっとひょうちんかばし)”が見たかったので上流から順番に見ていった。
 家に持ち帰り飲むことを考えていたが沈下橋から流れる川面をみていると無性に源流地点の水が飲みたくなりコーヒーを沸かすことにした。
 どうせなら沈下橋の一番歴史の古い橋に決めた。それが“一斗俵沈下橋”というわけだ。クルマは通れない生活道にもなっている橋で、コーヒーを飲む準備をしていると近所のおばちゃんたちが通りぎわに「こんにちは・・・」と笑いながら挨拶を下さり、この雰囲気はOKだと認識した。
 この風景のなかで源流点の水で沸かしたコーヒーはなんとも言い難く、“森に降った一粒の雨が不入山の地中に滲みて地上に流れ出て小川から大きな川へとなる”という碑文が思い出された。ここから百数十キロを流れ、太平洋へと続くのだと考えると気の遠くなり、自然の恵みに感謝した。


天空の地で車中泊

 実は、四万十川の源流に向かう前日は、“四国カルスト台地”からの朝日を狙っていた。私の旅では太陽絡みにならないと撮影旅は成立しないのである。
 日本三大カルストとして山口県“秋吉台”、福岡県“平尾台”、そして“四国カルスト台地”が代表だ。仕事を終えて約3時間かけてカルスト台地に到着し「満点の星」にカメラをセットした。夜間の気温が低く防寒着を用意しいなかったため、寒くて数枚のカットで断念した。
 広い駐車場で車中泊することにして、寝たのは午前1時前で起床は4時半過ぎ。今回で6回目だが思い通りの朝日には遭遇できていなかった。
 でも朝日を拝めてだけでも喜んだ。標高が高いので天候が崩れると雨は下界から吹き上げ、霧が出ると2〜3m先も見えない。しかし、晴天となると360度四国の山脈が見渡せる。
両方を見た者(勝手に自分が)はここを“天空の地”と呼んでいる。



 <<<54ページの写真の説明>>>

源流地点
この山に源を発する「不入渓谷」の最上流域が四万十川の源流点で、昭和62年(1987)に当時の東津野村(現津野町)と全林野須崎分会が合同調査を行い、渓谷の標高1200m地点に<四万十川源流域合同調査実施記念>の標柱を設置した。

<上>
“四万十川源流碑”設立由来碑より
・・・我々は此の川を創造した不入山を限りなく栄埒すると共に清流の恵みに感謝し此の川が日本最後の清流として永く人々に愛され親しまれ不変の生命を持ち続ける事を願って・・・

<左>
源流地点の標柱
キャプション@に説明があるので省略

<上>
車を停めて源流地点を目指す。歩くだけなら片道25分程度。撮影しながら往復2時間と自然を満喫した。
<下>
車で行ける源流地点。過去2回ここで断念していたのだ。


 <<<55ページの写真の説明>>>

四万十川の汽水域(淡水と海水が混在する)は全国に例を見ない豊かな水域で希少魚種等の宝庫。河口の防波堤から昇る朝日で右側が太平洋。

<上>
「一斗俵沈下橋」は1935年(昭和10年)に架けられた四万十川で一番最古の沈下橋。
<左>
源流地点の汲んだ源流水(もちろん右側)でコーヒーを沸かして飲んだ。

四国カルスト台地
愛媛県と高知県との県境で標高が約1400m、東西に約25kmに広がる。 


(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>>
現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。

CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします
 
 無断使用禁止・著作 H.Okamura Logoは使用許可済 
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。